としおかたかお 映画作家 新作
「京都・点景」コネクション・オブ・メモリー

プライベートムービーから商業映画まで
自らの映画表現を歩き続けた
映画作家 高林陽一に捧ぐ

「個」の眼差し・「個」の記憶は連鎖する。
既視感に満ちた映画という新しい記憶。
かつて映画シーンを駆け抜けた
高林陽一を彷彿する彼の後継者からのオマージュ。


 

脚本・撮影・監督・編集;としおかたかお
 録 音・技 術;秋吉弘文
   助 監 督;対馬 昭
      音 楽;みやはら豐
      製 作;遠藤久仁子
              出 演;二人だけの劇場セザンヌ、他



映画「京都・点景 コネクション・オブ・メモリー」について


 2012年に亡くなった京都の映画作家・監督の高林陽一。彼は映画が娯楽産業以外に存在しなかった時代から、詩や小説のように表現としての映画を制作、発表してきた。彼の作品は8mm映画の短編から「金閣寺」のような劇場映画、あるいはCMと幅広い。
 本作はそんな彼の弟子的存在の としおかたかお が、映画作家として、亡き高林を偲び制作する映画である。
 いわゆるドラマではない。オマージュから本作品はうまれた。晩年の高林映画に協力した京都の「二人だけの劇場 セザンヌ」の俳優たちと、彼らの活動をも大胆に取り入れながら、それでいてドキュメンタリー作品でもない。時には、本作監督が管理する高林陽一の初期作品も織り交ぜながら不可思議な映画世界を展開していく。街の持つ既視感や現実としての記憶。あるいは映画として捏造される記憶の融合が本作である。

 

映画「京都・点景 コネクション・オブ・メモリー」作品解説


 「初めて見た風景なのに、以前にも来たことがあるような気がする」。そんなモノローグから始まる一人称の映像は、それが誰の眼なのか?誰の記憶や思いかを明確にすることがないまま、その人物が、かつて京都を中心に活躍した映画作家の創作スタイルに強く影響を受けていることが、分かってくる。
 映画は、やがて三人称と変化し、島田という引退間際の映像編集者に引き継がれる。彼は「ただ歩く」行為の中で、多くの想いとイメージに出会っていく。
 それは不可思議な神社での幻想であったり、娼婦かもしれない介護師の女性であったり、息子の帰りを待つ初老の女性であったり、かつて彼が編集に参加した作品に出演していた女性の俳優であったり、彼女の劇団が演じる街頭芝居であったり、アトリエ公演の一人芝居であったりする。あるいは、認知症が始まった母親を介護する出版編集者と、彼の体験に興味を示す女性作家であったりもする。しかし、それらはドキュメンタリー的な現実とは限らない。唯一、はっきりとしているのは、島田が日々通う、書店のような飲み屋だけ。(そこは現実の存在する)
 そんな本作、曖昧であることは良くないこと。分かりにくいことは悪という娯楽映画とは、まったく方法論も目的も違う映画である。ただ曖昧であること、単一な意味だけがあるものでないことで、ビジネス文書のように方法と結論ありきでない映画世界が、観客がより自由に解釈し、提供できるものも多いのでは?という期待から作られた作品である。
 

脚本・監督 としおかたかお からの作品への想い


 本作の登場人物、島田という男性は、いわゆる劇映画といわれる映画の主人公には程遠い一般人です。ヒーローでもないし、人生に対して貪欲でもありません。どちらかというとアート系の映画を観る観客に近い人物です。
 仕事をやめ、街を散歩し、京都の路地を楽しみながら、そんな人物がリアルに感じる既視感や街の風景から触発されるイメージを、設定を作って小さなドラマ的な世界を作れば面白いのではないか?しかも登場人物に若者はいなくて、人生の多くを過ぎてきた人々で出来ないかと考えました。
 私はかつて、アート系といわれる映画のカメラマンでもありました。高嶺剛監督作品や数多く参加した高林陽一監督の特異な映画表現は、私を魅了しました。今回は、そんな経験も生かして、特に京都の監督であり、私の映画の恩師でもあった高林陽一監督への恩返しのつもりで脚本を書きました。
 ただ、書き進めていくうちに、戦後の女性の生き方やその辛さのようなものが浮かび上がって来ました。それは、私にとって、母親のイメージと重なって来るものでした。もし観客の方が「面白くない」ということであれば、どこかに私自身の逃れようもない自己表現の回路が原因かもしれませんが、これが今の最終系です。ご自分を重ね合わせて、ご覧ください。


 としおか たかお プロフィール
1954年6月生まれ 1981年より、恩師の映画監督、高林陽一らとフィルムリレーションを結成。自主映画の制作、上映活動を始める。その間「岬まで」「まどろみの時の追憶」「ナナの事、僕の事」などの16mm作品を脚本・監督。1984年、高嶺剛監督作品「パラダイス・ビュー」で劇場映画撮影者としてデビュー。1986年、高林陽一作品「魂遊びほうこう」で撮影監督。
1986年「遠い夏からのながめ」16mm映画自主制作。その後「大阪みどりの百撰」(大阪府花博イベント映像)撮影監督や多くのPR、CM作品の撮影監督として活動。1998年、劇場映画「ボディスリル」脚本・監督・撮影。2000年、劇場映画「-less(レス)」脚本・監督。2003年 高林陽一監督作品「愛なくして」で撮影監督。2001年からプライベートに制作をしていたデジタルシネマ作品「言葉・ビデオ・記憶」「恋愛映画あるいはカメラ」などを劇場でレイト公開。 その後、撮影業務も手がけながら、ビジュアルアーツ専門学校・放送映画学科長に就任。2006年から高林陽一作品「ベンチのある風景」「涯てへの旅」「もうひとりの女」などのデジタル作品を撮影監督・編集。2015年3月 ビジュアルアーツ専門学校・放送映画学科長を退任。現在、日本映画監督協会会員。日本映画テレビ技術協会会員。


 
 
 
 
 
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